FORELSKET

君の名を叫びたい、星屑ロマンス。

私にとっての担当

 

最近「担当」についての記事をよく見かける。

 

どれも重いというか、大事というか。でも、人それぞれだからいいと思う。

思うけど人のものさしで、自分の楽しみを十分に楽しめなくなるのはまた話が別だと思う。

 

私が思う「担当」とは「うちわを持ちたいと思う人」である。

 

そんなに気負いしないで、もっと楽に考えていいものなのではないか。それに気づいたのは私が藤井流星くんを好きになり始めてからである。私は流星くんを好きになるまでずっと光くんが好きだったし、コンサートでは光くんのうちわを持っていた。他のメンバーを見て可愛いとかカッコいいとか、そういう類いの感情を持ち合わせても「うちわを持ちたい」という気持ちにまでは至らなかった。だけど、今回は違ったのだ。同じグループじゃなかったからかもしれない、けど万万が一2人が同じグループにいたとしても流星くんのうちわを持ったかもしれない。まあそういうことになればいよいよ「担降り」という言葉が出てくるだろうけど。

今まで見て来たブログでは、「責任」とか「絶対に」とかまるで書面上で交わされた約束のように感じた。もちろんそれらを否定したいわけではない。いいと思う。個人の自由だし。だけど担当が「うちわを持ちたいと思う人」である私からすればちょっと重すぎではないだろうか。別にタレントと直接約束を交わしたわけではないし、ファンの一人が他の人に乗り移ったところで彼らには何の影響もないだろうし。…まあ、これはちょっと否定的すぎるけど。ファンの担降りとかを紙面やネット上で素焼きとか浮気とk言っている人もいるけど*1それはそれで楽しいし私は割と好きだ。

いわば、自分自身のモチベーションなのだろう。「私はこの人を応援しているんだ!」「私の応援するべき人はこの人なんだ!」みたいな。色んなところに目を当てているよりも焦点を絞った方が色々見やすい場合もあるし。

 

正直、私は「担当」っていう言葉よりも「掛け持ち」という言葉の方が嫌いだ。こっちは好きな人を増やしているだけなのに。「掛け持ちです」と言った瞬間に嫌な顔をされたり「じゃあ元々好きだった人は好きじゃなくなったのね」みたいな。全然そんなんじゃないし、好きなものが増えただけだしっていつも思う。ハッキリ言う。私は担降りしてもないし、掛け持ちでもないし、強いて言うのならば「担増し」だ。

 

うちわは自分が持てるだけ持てばいいと思う。

何本も持てるけれど一本しか持たない人がいれば、手一杯にうちわを持ったっていいと思う。個人の自由だ。タレントとオタク(ファン)の私たちに契約なんて存在しない。勝手に自分で自分の楽しみに制限をかけているだけだ。

 

ブログのタイトル*2にもなっているけど、好きなものは好きなだけ好きになっていいのだ。

 

 

*1:ええ、あなたの思い浮かべているその人です。

*2:執筆当時のブログタイトルは「好きなものを好きなだけ」でした。